当日出品するあたりまでの話。 ■出品までのいきさつ ○平成18年2月 「MG FAZZ」をつくりはじめる。百鬼夜行2でハシモトジョー氏の力作FAZZに「このあたりに情報欲しいね」と軽く言ったが、それは作品で応えるべき、と考えた。俺ならこうする、それを口じゃなく、作品で出すために製作をはじめた。心の中で、「じゃ、おまえ(RUN)はどうなんだよ」というのは結果でしめすべき、と。 ○平成18年6月頃 イエサブ千葉コン向けに「MG FAZZ」を作っていた。そして金子辰也先生の模型クラブの課題で「1/700 戦艦大和」も並行して作っていた。 ○平成18年7月頃 金子辰也先生の“腕試ししてみたら”という発言から、「戦艦大和」を完成、池袋の東武モデラーズコンテストに出品。イエサブ千葉コンより当然入賞しにくいが、挑戦。 そこで「MG FAZZ」はイエサブ千葉コンに出さざるをえなくなっていた。 ガンプラのコンテストはたくさんあるので向き不向きということもあり、「MG FAZZ」はガン王向けの作品ではなく、地方コンテストでうける傾向の作品だと思っていた。イエサブ千葉コンの連続出場記録の問題もあった、過去の12回の大会すべてに出品していたのだ。 ○平成18年8月上旬頃 迷いに迷って、コンテスト予定のなかった「SDグフ軍団」をイエサブ千葉に出品した。もちろん「MG FAZZ」をイエサブに、「SDグフ軍団」をガン王に、という手もあるんだが、逆にした。イエサブ千葉にSDグフ軍団、ガン王にFAZZだ、と決めた。『ほかの人に自分が同じことを相談されたら、どう判断するか』という姿勢で判断した。 ○平成18年8月中旬頃 「MG FAZZ」は自分にとって“渾身の出来”とは思っていないところがあった。ビネットで浮かせただけでは審査員の目はごまかせない。表面情報以外にアピールポイントもない。はたしてFAZZを撃沈させていいのか迷った。 しかし去年の自分のガン王レポートをふと読み返してみた。挑戦者の自分がいた。コンテストの結果がすべてじゃない。 ○8月26日(土) 午後2時30分 ガン王初日。 金子辰也先生の模型クラブの帰りに、池袋の東武デパートに「戦艦大和」を引き取りに行った。どうせ池袋に行くのなら、と、ガンプラEXPOとガン王をちょっと見ようと思った。 ガンプラEXPOは1時間待ち、ガン王は待ち時間なし(というかガラガラ)、ということで、「僕は戦う男たちを見に来たんだ!」とガンプラEXPOを振り切り、ガン王をゆっくり見ることにした。 すでに50作品ほどあって、ざくさんの1/60ストライクフリーダムが圧倒的な存在感があった。「明日、FAZZ持って行くのやだな〜」と思った。 家に午後7時頃着いて、家族と食事。二日も家を空けることに後ろめたさがあった。娘たちが「明日はパパ休み?」「明日はパパどこ行くの?」と聞かれ、つらい。僕にとって大事な1日は、娘たちにとっても大事な1日なのだ。 金曜日の夜は仕事で寝てなかったので、崩れるように午後9時に寝てしまった。 |